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1.競馬の殿堂

顕彰馬は、「日本中央競馬会創立30周年記念事業(昭和60年)」の一環として
JRAの発展に多大な貢献のあった過去の名馬の功績をたたえ、
また、調教師、騎手の顕彰者は、「JRA創立50周年記念事業(平成16年)」の一環として選出されたものです。
JRA創立50周年記念事業ではこうした顕彰だけでなく、
公開のシンポジウムを行ったりもしました。
なお、東京競馬場内のJRA競馬博物館には「中央競馬メモリアルホール」を設け、
肖像画、ブロンズ像などの関係資料が展示されています。
競走馬、調教師、騎手の選出基準は以下の通りです。

競走馬 ・・・ 毎年報道関係者による選考投票を行い、
3/4以上の得票を得れば選出されます(平成12年までは顕彰馬選考委員会の審議により決定)。

調教師 ・・・ JRAにおける通算勝利度数が1000勝以上であり、
管理馬が旧八大競走(皐月賞、日本ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス、天皇賞(春)、天皇賞(秋)、有馬記念)のうち、
日本ダービーを含む5種類以上の競走において延べ10勝以上を記録した調教師。

騎 手 ・・・ 通算勝利度数が概ね1000勝を記録し、年間最多勝利記録などで特に顕著な成績を残した騎手。

競走馬

競走馬に関しては報道関係者が投票を行い、3/4以上の得票数を得た場合に選出されます。
過去の顕彰馬には
・クモハタ
・セントライト
・クリフジ
・トキツカゼ
・トサミドリ
・トキノミノル
・メイヂヒカリ
・ハクチカラ
・セイユウ
・コダマ
・シンザン
・スピードシンボリ
・タケシバオー
・グランドマーチス
・ハイセイコー
・トウショウボーイ
・テンポイント
・マルゼンスキー
・ミスターシービー
・シンボリルドルフ
・メジロラモーヌ
・オグリキャップ
・メジロマックイーン
・トウカイテイオー
・ナリタブライアン
・タイキシャトル
・テイエムオペラオー
・ディープインパクト
が選出されています。



















主な顕彰馬

ディープインパクト

史上6頭目のクラシック三冠馬(史上2頭目の無敗での三冠馬)です。2008年に顕彰馬に選出されました。
ディープインパクトは北海道早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれました。
同じノーザンファームの同期生にはシーザリオ、ラインクラフト、カネヒキリなどがいます。
2004年12月19日阪神競馬第5競走の2歳新馬戦(芝2000m)で武豊を主戦騎手に据えてデビュー。
武豊は引退まで手綱を握ることとなります。
そして2着のコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けてデビュー戦を勝利しました。
第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0%(オッズは1.3倍)と、
1951年のトキノミノルの73.3%に次ぐ史上2位となりました。
レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで追い込まれ後手を踏み、最後方からの競馬になりましたが、
2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利しました。 日本ダービー当日の東京競馬場には14万人もの観衆が押し寄せました。
左回りコースは初出走となったが単勝支持率は73.4%(オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気でした。
スタートはまたしても出遅れ、道中は後方につけるも、4角では横に大きく広がった馬群の最外を通り、
直線では一頭先に抜け出したインティライミに5馬身の差をつけ、
前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝し、
1992年のミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成しました。
そして三冠のかかった2005年10月23日の第66回菊花賞。
前々日発売の金曜日時点での単勝支持率が90%を超えるなど、まさにディープインパクト一色となりました。
レースでは、好スタートを切ったものの、スタート後からかかり、馬群の内側に入りました。
その後中団で落ち着き、直線ではアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。
シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となりました。
菊花賞後は、史上初となる無敗でのグランプリ制覇を目指し、古馬と初対決の有馬記念に出走しました。
事前のファン投票では160,297票を集めて1位となり、単勝オッズは1.3倍を記録しました。
レースはいつものように後方から進めるも、同じサンデーサイレンス産駒のハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗、
8戦目にして初黒星を喫しました。 天皇賞(春)。スタートではまたも出遅れて観衆を驚かせましたが、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけて進みました。
そして第3コーナー手前の残り1000m地点からが圧巻の走り。
ロングスパートを開始し、第4コーナーで早くも先頭に立つと、
上がり最速の3ハロン33秒5の脚を繰出し、リンカーン(2着)に3 1/2馬身の差をつけ優勝しました。
その後凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランが発表され、前哨戦の宝塚記念では、
直線では馬場外目を鋭く伸び2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝しました。
そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円ホースとなりました。
11月26日の復帰戦ジャパンカップでは、2005年の有馬記念以来となったハーツクライとの再戦に注目が集まりました。
ディープインパクトの単勝支持率は61.2%で、日本国内で走ったレースの中では最も低かったですが、
これでもジャパンカップ史上最高の支持率でした。
なお、同レースは海外からは当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを含む2頭しか出走せず、
日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなりました。
(理由はディープの強さを他の厩舎が知っていたことにより出走回避が相次いだ為と考えられます)。
レースはディープインパクトが終始最後方で待機、直線に向くと内に入ったウィジャボードを初めとする他馬を一気に捲くり、
直線残り400mあたりからムチの連打で追い込み、残り200m付近でドリームパスポートを差し切り、2馬身差をつけ優勝しました。
レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールしました。 そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走しました。
事前に行われたファン投票では119,940票を集め2年連続1位、かつファン投票で選ぶレースとしては3レース連続
(2005年有馬記念・2006年宝塚記念・2006年有馬記念)1位となりました。
引退レースとして注目が集まったこのレースで単勝支持率は70.1%(オッズ1.2倍)と
1957年にハクチカラが記録した76.1%に次ぐ史上2位となりました。
レースでは道中は後方3番手につけ、3コーナーから追い出して直線で早々と先頭に立つと、
最後は流しながらも2着ポップロックに3馬身の差をつける圧勝で、見事に有終の美を飾りました。